飲んで語ろう!ウィークエンドフォーラム 「原発事故から2年‐福島を想い続けるために」

3月11日の福島原発事故から2年。
福島の被災地では未だ地震や津波の爪後が残ったまま。
放射能汚染によって、家族やまちは分断されたままです。
原発事故が何をもたらし、何を失ったのか。
私たちはこの先も福島のことを考え続けなければと思います。
今回は、「私が見た福島」をテーマに、鳴海有理さん、田中拓哉さん三鴨みちこさんの3人からの報告がありました。

報告者の一人、田中拓哉さんからのウイークエンドフォーラム報告をご紹介します。
 
2013年3月15日、鳴海さん、三鴨さんと一緒に「福島を想い続けるために」というテーマの報告会に参加しました。それぞれ福島の現状について考えてこられた方々と、多様な角度から議論することができました。

私は、「子どもたちの未来と自然エネルギーを考える八王子市民講座」という団体で、八王子市民放射能測定室とも連携しながら、被災地との交流や自然エネルギーの普及などをテーマに活動しています。今回の報告会では、交流を目的に、去年の11月に訪問した福島県二本松に拠点のあるNPO法人福島有機農業ネットワークの放射能測定と放射能低減対策の取り組みについて報告しました。

放射能汚染とそれにともなう風評被害により、福島の農業は大変厳しい状況に直面しています。この間、少しでも放射能の移行を抑えようと、二本松の農家を中心に様々な研究が進められてきました。その成果として、いくつかのことがわかってきました。放射性セシウムの作物への移行は、土壌の放射能濃度だけでなく、土壌のコンディション(交換性カリウムなどの栄養塩、ゼオライトなどの鉱物、もみ殻などの有機物、pH、アンモニア態窒素の含有量など)に左右されています。

福島では、「逃げたいけれど、逃げられない」という方や、「危険かもしれないが、逃げるわけにはいかない」という方も多く暮らしています。低線量被曝のリスク評価は人によって違っています。危険だという人と、安全だという人がいて、すれ違いが溝を深め、激しい論戦だけが目立っています。いっぽうで、具体的な状況のなかで、不断に営まれる日常については、あまり報道されていないように思います。

二本松の有機農家・菅野正寿さんたちは、原発事故の後で、いち早く「それでも種をまく」ということを表明し、都市の脱原発運動や消費者に少なからず衝撃を与えました。ところが、その後、測定される農産物の多くが通常の測定器では不検出(およそ10㏃/kgを下回る数値)であったといいます。これは、「それでも種をまく」ことを決めた農民の楽観をはるかにこえて、奇跡的なできごととして受け止められています。

福島の農業が、本当の意味で「復興」を遂げなければ、いま都市の住民が汚染された食品を避けることができたとしても、本質的には、未来の食卓を守ることにはなりません。福島県で耕し続けることを決めた菅野さんは、何度も東京に足を運び訴えます。これまでの有機農業運動は、「安心」と「安全」を商品の付加価値として扱うことで、消費社会にのみこまれるようにして順応してきたといいます。その結果、食べることへの思考は私たちの手を離れ、地域の循環やコミュニティといった農的な価値意識は失われてしまったのです。福島では、農的な暮らしを根本から問い直す運動が始まっていました。

3.11原発事故による汚染は生産者と消費者の間にある対立構造を決定的な形で表現しました。この利害対立のなかで、いずれの陣営にも属さない市民放射能測定所が全国に開設しました。食の未来を見つめる福島の農民とつながり、建設的な議論を積み重ねる活動を各地で展開することが様々なレベルで求められているように思いますが、このうえで、市民放射能測定所もまた、各地で食について考えることのできる場としての大きな役割を担うことになると思います。

鳴海有理の報告はこちら
http://narumi.seikatsusha.me/blog/2013/03/18/3621/