こうした状況の下、昨年はトヨタ・マツダ・ソニー・キャノン・NECなどの大企業の期間従業員や派遣社員の大量解雇が行なわれ、年末年始は「派遣切り」などで仕事と住まいを失った人を対象にした東京・日比谷公園の「年越し派遣村」に、300人以上の労働者が続々と詰めかけた。そして、1月5日の午前9時までの制限つきだが、厚生労働省が派遣村の要請に応じて省内の講堂の緊急開放に踏み切った。自治体レベルでは雇用や住まいに関する独自策を打ち出しているが、政府の動きは極めて鈍かった。異常な事態に対してすばやく対応し、人々の生存権を守った市民力の広がりは一抹の希望のように思える。
1999年には製造業や建設業などを除いて、原則としてどんな仕事にも派遣が認められ、2004年には製造業も解禁。経済のグローバル化のなか、人件費を削減したい経済界の要請に答えて雇用の規制緩和が進められた。
2007年ごろまでのささやかな好景気も(定率減税の廃止や社会保障費の削減で実質賃金の目減りしている中で実感はなかったが)企業が人件費を抑えてきたことと、輸出を中心とする産業で好景気を継続させてきた結果だ。
当然、将来の見通しが立たない働き方、人の使い捨てによる人件費の抑制は国内需要を低下させ、若者の希望を失わせる。そして輸出産業中心の経済政策では、円高で輸出が不調になっても内需には期待できないという悪循環に陥る。
今年は都議会議員選挙と衆議院議員選挙が予定されているが、もういいかげんに政治も経済も環境・福祉中心の構造へと転換を図るべき時期だ。オリンピック誘致だと浮かれている場合ではない。都議会は国政政党間の綱引き状態でミニ国会と化し、長期的な政策ビジョンのない「政策より政局」状態になる可能性がある。
ますます政治が暮らしの現場の実感を伴わなくなっていく前に、わたしたちの生活の現場から生まれた、ローカルパーティ・生活者ネットワークの存在意義を伝えられるような活動を、大勢の人と共有できる1年にしたい。